『大地の林檎』店舗作りの秘密

−空堀、沢井亭を探る−
  
  


2003年5月17日
知人の紹介により、サラダとコロッケの惣菜店『大地の林檎』店舗設計の依頼を受ける。
  

現地調査
大阪は中央区の空堀商店街の中ほど、古いシャッターの上部に『沢井はきもの』の看板、ここが計画店舗と紹介される。
             
内部はテナント用に改修済みで、床はモルタルの所々に基礎と思われる御影布石が見え、天井は古い吸音テックスが張られている。約9坪の店舗内部に、およそ1間ピッチで独立柱が4本立っている。道路側に面した2本の柱上部に、ブラケットとおぼしき金物の一部が見える。気になる!


既存平面図
  

天井をはがしてみる
ダクト取付時にビス止めされた吸音テックスをはがしてみるが、天井ふところはのぞけない。わかった事は、外観上総2階であるにもかかわらず天井の上へ屋根らしきものがある事、シャッター上部にラチス梁が施工されている事くらいである。おそらく2階は増築されたものであろうが、“あの金物”は?
  

大家さんから意外な事実が
大家の沢井さんによると、なんとこの建物は隣の店舗を含めて沢井亭という寄席だったそうである。そして、当時の建物模型が大阪市立『住まいのミュージアム』に展示されているとのこと。どうりで2軒隣の紅茶専門店『Ustyle』のうだつをはじめ、近隣には“いわれ”のありそうな、粋?で一風変わった古い建物が目につく。さらに大家さんへの聞き取りに挑戦するが、多くは語ってくれない。
元席亭は寡黙であった。
  

沢井亭を追っかけろ!
当時の建物の全容をつかめば“例の金物”も解明できるはず。沢井亭には大阪最初の漫談家「花月亭九里丸」(1891−1962)が、三升小鍋という落語家時代に初舞台をふんでいる事がネットで判明。それによると、花月亭九里丸が三升小紋に入門したのが1919年(大正8年)とある。三升小鍋を名乗って空堀、沢井亭で初舞台となっていることから、今からおよそ90年くらい以前の建物であることがわかる。しかし、沢井亭そのものの手がかりは無い。
  

住まいのミュージアムへ
はたして“あの金物”は何かを支えているブラケットなのだろうか?では何を?屋根?どんな屋根?なぜ支える必要が?それとも装飾的な金物?取り外せるのか?金物から出発した疑問は建物全体への好奇心にふくらんでゆく。当時の寄席はどういう作りになっていたのだろうか。今の店の部分は寄席のどの部分であったのだろうか。等々。


住まいのミュージアムに到着。パンフレットから、模型は8階に展示されていることを知る。はたしてどんな模型なのか。今日全容が明らかになるのだろうか?ドキ、ドキ、ドキ・・・。
あったぁ―!!
  

寄席『沢井亭』の全貌が明らかに
模型は1938年(昭和13年)当時の空堀通りの一画を1/50で再現されている。沢井亭は現在の『Ustyle』の建物からすぐに発見できた。


今のシャッターとほぼ同じ位置に板戸がはめられ、道路側の2階はセットバックしていて1階部分に屋根が差し掛けられている。この屋根に大看板が掲げられ、寄席らしい雰囲気がうかがわれる。大屋根は正面側だけ入母屋になっていて、立派そうな棟飾りが乗り、換気用らしい越屋根がついている。又、舞台は通りの反対側、建物裏手のようである。
  

“あの金物”の正体は?
建物全体構造は把握できた。やはりあの金物の上には屋根があったのである。しかしまてよ・・・、今のシャッターの位置には柱は立っているし、屋根を支えるブラケットが必要な構造とは思えない。大看板を取り付けるためのものなのだろうか?道路側の2階増築時に後付けした補強の金物なのか?
ん〜、わからない。謎が謎を呼ぶ。
真相は着工して天井を撤去しなければつかめないのだろうか。
  

さらに天井をはがしてみる
店舗プランがかたまり、店の賃貸契約の成立をうけて、“あの金物”付近の天井を破ってみる事にした。金物下の吸音テックスを取り除くと、なんと!そこには頑丈そうな無垢板の竿縁天井が出現。そして、金物は曲線を描きながら竿縁天井の中へ入り込んでる。ペンキが塗られているが、相当年代物と見られる竿縁天井に行く手をはばまれ、この日の追求を断念。それにしても、すでに天井が二重になっていたとは・・・。
なかなかてごわい。

                
  

アーケードに登る
電気の引き込み端子がアーケードの上にあるらしく、この調査に同行して建物を上から見る。すぐにそれとわかる古い大屋根が、アーケードとほぼ同じレベルにあった。奥は切妻屋根、手前は軒先の瓦をはずして金属屋根を差し掛けているが、おそらく元は入母屋屋根であったのだろう。住まいのミュージアムに展示されている模型のとおり、大きな棟飾りも乗っている。隣の『Ustyle』、向かいの服屋と八百屋と魚屋さんの屋根も、その隣の喫茶店と肉屋さんの屋根も模型のままである。又、遠くへ目をやれば模型当時の長屋が結構そのまま残っている。ただ、沢井亭(模型の説明には喜樂亭となっている)の大屋根に模型にはある越屋根がない。相当古い瓦で葺かれていて、改修したようには見えないが?さて・・・。
“あれ”の手がかりが何かつかめるのでは?と思っていたが、隣棟と接続させるために大屋根の周りは金属屋根でおおわれていて、残念ながら1階の屋根は一切見えず、手がかりなし。
  

大家さん宅へ
ガスは店舗の裏手部分を住居にしている沢井宅から分岐されているので、ガス容量をチェックするために住居内を見せてもらった。店舗横の玄関を入ると御影石の飛び石で建物の奥へ導かれる。この飛び石も寄席時代のものらしい。建物はほとんど当時のまま利用されていて、客席部分から階段で舞台に上り、さらに舞台から客席上部に増床されたらしい2階にアプローチするようになっている。今は「舞台に寝ている」そうで、当時のままの舞台にベッドが置かれている。寄席時代は今の『Ustyle』部分の建物が住居で、その奥の建物が“離れ”だったそうである。ここで沢井亭が寄席の小屋と住居、離れの3棟で構成されていた事が判明した。
  

遂に工事に突入
“あれ”の解明にてこずる中、とうとう着工の日がきてしまった。遂に真相は現場対面に持ち越されたのである。ところが、諸事情によって天井は極力撤去しない事に決定、ショック。
                                               
はたしてまともに面会が可能なのだろうか?すでに設計では金物は撤去せず、柱を丸柱で飾ると共に金物もそのまま露出させ、装飾として扱うように考えている。金物の正体をつきとめて、撤去の可能性を探る必要は無いのだが・・・。でも知りたい!
  

表から攻める
ファッサードの仕上材をとめ付ける下地を施工するため、シャッターボックス前面の鉄板を撤去。な、なんと!シャッター越しに看板と古い屋根が出現。シャッターの内側に、模型にあった引戸のものと思われる鴨居があらわれ、その上部が鉄板張りになっていてペンキが塗られている。相当古いが『さわいシューズ』とかすかに読める。看板は元々瓦葺と見られる屋根の軒先付近に付いていて、グリーンのペンキ文字は左書きである。又、元の瓦屋根には軒樋の受金物が残っている。元々は瓦屋根の鼻先に引戸をはめ、らんま部分を看板にしていたものであるが、後に外側へラチス梁とシャッターを取り付け、引戸部分をころしたものと見られる。この看板のために、内側の天井ふところ、“例の金物”の天井の中がのぞけない。
  
  

裏側からの攻略
設計では店舗の中央付近、“例の金物”が付いている柱の裏側に天井埋込カセットのエアコンを設置している。天井面を900m/m角位くり抜く必要があり「チャンス」である。穴があくのを待ちかまえて脚立にかけ登る。やられた!天井の開口から金物側をのぞくと、どでかい梁が・・・。梁は天井いっぱいに付いていて、梁の向こう側にあるはずの金物は全く見えない。「さわるだけでも」と、手でさぐるが梁と天井の間に隙間はない。おそらく、模型にあるセットバックした本来の2階の壁を受けている梁であろう。という事は、この向こうに屋根があるのは間違いないのだが・・・。
予想以上にガードがかたい!
               
ただ、柱の内側に鼻栓を打った仕口材の端部が見え、向こう側に“何か”がある事はわかる。その他、ここでの新しい発見は
  • 2階床板は相当古く、少なくとも店舗部分の範囲に、同一材料で張られているようである。又、天井を張らない場合の“根太天井”であったようにも見うけられる。
  • 2階床板の下、梁天端にスチール製のフラットバーが水平ブレースのように入っている。当時に、スチールを使用したこういう施工法があったのだろうか?
             
  • 竿縁天井のすぐ下に、コック付のガス管がめぐらされている。天井裏に碍子引き配線が残っており、ガス灯ではない。
  

ついに出た―
ダクト及びエアコンの冷媒配管のため、ついに“やつのいる”店舗おもて側の天井を破る時がやってきた。設備屋さんが開けた小さな穴を、のぞける大きさにこじ開ける。ようやく、隠されていた1階部分の屋根の裏にたどりついた。屋根は化粧野地板、化粧タル木で建築当時のままと見られる。タル木は中央付近を大きな軒桁で支えられている。さらに軒桁は柱から持ち出された腕木の上に乗っている。そして、なんと、腕木の下には立派な鋳物の金物。“彼”の正体はこれだったのだ。
             
屋根は引戸のあった所では支えられておらず、柱から腕木を出して支持する、いわゆるはね出しの構造となっている。“彼”はこの腕木の補強として、その根元を支えていたのである。あけぼのマークのくり抜きデザインをあしらった年代ものの“彼”は、天井裏に大部分の身を隠し、人知れず屋根を支えつづけていたのである。できれば“彼”に日のあたる人前に出て来てもらい、その姿を引きたたせてあげても良かったのかもしれない。
  

事の真相は
ついに姿を表わした金物は、屋根を根元で支えているブラケットであった。住まいのミュージアムに展示されている模型では1階の壁面より2階が後退しているが、元々この建物は、壁面が上下階同じところに位置する大坂建と呼ばれる建て方だったのである。すなわち1階の屋根は通り庇と呼ばれていた片持ちの屋根で、この部分は外部空間になっていて天井も張られていなかった。屋根は柱からの腕木で支えるのであるが、腕木のつっかい金物が露出となるので化粧金物としたのであろう。この通り庇は、現在の建物間口いっぱいに通されていて、隣の店舗部分も含めて現在も残っている。今は庇の上部に2階が増築されているのであるが、床はこの庇の上に乗せられているようである。又庇の裏には看板や提灯をぶら下げたのだろうか、引掛金物や桟木が残されていると共に、電気の碍子引き配線の跡も見える。
『大地の林檎』店作りで当初気になった柱の金物は、おそらく住まいのミュージアムの模型以前であろう建物の姿、つまり通り庇の付いた大坂建であったという、建物全体構造にたどりつかなければならない意外な展開となったのである。
矩計図
  

工事が終ってわかったこと
おそらく大正時代に建てられたと考えられる沢井亭は、当初の寄席から建物を2つの店舗に分割し、片方が『さわいシューズ』を経て『沢井はきもの』と変化してきたのであろう。
茨木市立中央図書館併設の富士正晴記念館に、大正5年9月1日からの空堀沢井亭での公演チラシが所蔵されており、少なくともこれ以前の建築であろうと考えられる。本来通り庇であった屋根の先にいつ板戸がはめられて屋内に取り込まれたのかはさだかではないが、おそらく寄席時代に建具をはめ、通り庇部分を取り込んで半屋外空間として利用していたのではないかと思われる。その後店舗へ転身する中で、建物を2分して竿縁天井を張り、建具のランマに看板を取り付けて『さわいシューズ』に変身したのであろう。さらにその後、板戸の外側に鉄骨のラチス梁を設け、これにシャッターを取り付けたのではないだろうか。又、竿縁天井の下に吸音テックスの天井が張られたのもこの頃ではないかと考えられる。ここにきて“あの金物”の全貌は闇にとざされ、謎につつまれることになるのである。この後旧沢井亭は、ラチス梁を利用しての2階の増築や、路地部分を屋内に取り込む工事などによって『沢井はきもの』と『沢井薬局』に変貌し、寄席としてのたたずまいが薄らいでゆくのである。さらには、間仕切壁が追加され、住居への玄関が設けられて『貸店舗』への転換がはかられた。そして、このたびここに『サラダ&コロッケ 大地の林檎』が生まれ、無事再出発の運びとなった次第である。めでたし、めでたし!
今回の工事で、さらにもう1枚の天井が追加され、ますます“あの金物”が秘密につつまれてしまったようである「ごめんなさい」。
  

工事が終ってもわからないこと
空堀沢井亭に、2階寄席はあったのだろうか?
吉本興業の歴史などをひもとくと、当時は庶民の娯楽の場としての小さな寄席が町中にたくさんあったようである。住まいのミュージアムに展示されている模型を見ると、客席の両側面と後面の2階部分に窓が付いており、2階客席があるように見える。当時の小さな寄席に、はたして初めから2階席があったのだろうか?確かに2階部分の梁は建築当時のものと考えられるが、梁の天端がそろっておらず、床板とのすきまに“かましもの”がされている。又、客席後の2階席であったと見られる範囲が広くて、はたして舞台が見えたのかも疑問である。さらに、後に梁を支えたのではないかと思われる柱が店舗内に露出している。
謎である。
ガス管は?
竿縁天井の下に露出で配管されているガス管はいったい何のためなのかわからない。現在は使用されていないのであるが、数ヶ所のコックが付いている。雰囲気としては、天井に取り付けたガスストーブのためのようにも感じるが、くねくねと折れ曲がりながら天井をはいまわっているガス管は不可解である。
フラットバーは何?
最も気になるのが2階床部分に入っているスチールのフラットバーである。すでに床面の剛性を高める“火打ち”を入れる技術が確立されていたのだろうか?それとも、通り庇の重みで壁がはらみだして、たわまないように引っ張っているのだろうか。フラットバーは大きなものではなく梁の天端を欠き込んで通されていて、床板のじゃまにならないよう落し込んである。又、水平ブレースのようにタスキ掛けにはなっていないようであるが、同一斜め方向に複数本を確認した。残念ながら今回、フラットバーの端部が見えなかった事もあり真相は謎のままであるが、構造的な補強であるとしたなら建築時点のものか、後から補足したものなのか?
気になる。
  

追記
『大地の林檎』店舗の完成と入れ替わるように、紅茶専門店『Ustyle』が他に移転してしまいました。残念!お元気で。


「大地の林檎」のその後
コロッケ&サラダ「大地の林檎」は、その後順調に売上げをのばし空堀商店街の名物店になった!
かにみえたが、残念、オーナーの奥さんの体調不良などがあってオープン1年余りで閉店を余儀なく
されました。
建物はさらに手を加えられ新たな店舗として再出発。“彼”を含めた天井の中の遺産たちはいったい
どうなったのだろうか。店舗はオーナーが変わると内装も変える。もったいないし建物もいじめられる
ことが多い。仕方ないことなのだろうか?
彼らの無事を祈りつつ、また会える日までGoodnight。

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用語解説
モルタル
セメント・砂・水を練り混ぜたもの。左官材料。
ブラケット
はね出し金具。張り出し床など突出部分を支えるために設けたもの。
ラチス梁
山形鋼や帯板などの鋼材を用いて組み立てられた梁材。
上弦材と下弦材の間に斜めの材(これをラチス材という)を入れることによって三角形を構成し、せん断力や変形を減少させると共に大きな曲げ耐力を期待する。
小さい部材で大スパンの架構ができるのが特徴。

住まいのミュージアム
2001年4月に天神橋筋六丁目にオープンした、大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとした住まい専門のミュージアム。
江戸時代の町並みを実物大で表現したフロアや、近代大阪の代表的な住まいと暮らしを模型で再現したフロアなど、その精巧さに驚かされると共に映像や照明、音を使った巧みな仕掛けに、大人も子供も楽しめる知的遊び心のある博物館。
http://www.city.osaka.jp/sumai/museum/
うだつ
隣家との類焼を避けるために設けられた防火壁。両端に設けられた壁が屋根から少し突き出た格好になっていて、それがまるで兎の耳のように見えることから『卯立』となっていったようである。うだつは裕福な家に設けられたことから、逆の意味合として『うだつが上がらない=出世しない』という使われ方をするようになったとの説がある。
入母屋
屋根形状の一種。寄せ棟屋根の上に切妻屋根を被せたような形の屋根。
棟飾り
屋根の棟の先端部分につけられる飾り瓦。
越屋根
屋根形状の一種。大屋根の上に小さな屋根をのせた屋根。採光・換気・煙出しの目的で利用する。
無垢板
合板や集成材のように加工されたものではなく、心木、表面とも純粋の一枚板のこと。